つまり、ここにカルヴァン自身の論述的な精緻さを一部で徹底して採用しつつも、所謂理論家として学術に邁進するのではない、宗教神学者の神の使徒としての使命を全うするという姿勢(stance)を読み取ることができる。
つまり完全にメタ的に合理的解析し、無矛盾を証明する様な哲学者や論理学者の態度を他方で熟知していながら、渡辺の言を借りれば、あくまで彼の自己とは、その点では近代人のエゴとは本質的に異なり、自己認識が自立するという考えはカルヴァンにはありません。
神認識あってこその自己認識です。

poppyandbell.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/...
このブログを読む